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じゅたろう先生フルーツ日記

 

東京都八王子市打越町
347−3安井ビル1F
天龍名倉堂整骨院併設

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●降幡儒太郎ストーリー


■プロローグ
 日本3大奇祭の1つ「御柱祭」や花火で有名な諏訪湖や天竜川の流れる、長野県岡谷市で生まれた、院長の降幡がこの仕事に就く事になったのは、学生時代さまざまなスポーツをしてケガが絶えず接骨院通いをした事に起因します。水泳(100M平泳ぎ)陸上(400M走)バレーボール(ソウル五輪に出場した井上謙君はチームメイトでした。降幡は万年補欠で練習をさぼってばかりいましたが・・・)特に高校生の時にやった柔道(軽量級、お情け初段)では、監督のお兄さんが接骨院を開業していたため(監督も接骨院の免許を持っていた)、自分の将来として接骨院を意識するようになっていました。

■没落地主となった降幡家
 養蚕の指導をしていた祖父の時代の降幡家は割りと裕福で、家屋敷の他に田畑や山を持っていました。戦時中父は学校の弁当に白いご飯を持って行ったとき「非国民」呼ばわりされたそうです。ところが、敗戦。そして農地改革により貸していた田畑は全て取り上げられてしまいました。その後、成人した父は祖父のアドバイスを聞きいれず、自営業を始めましたが、うまくいかず、借金だけを増やすような事を繰り返していました。当然ながら家計は苦しく、嫁いだ母がパートに出ては支えていたのです。そんな降幡家の長男として生まれたのですが、貧しいながらも、家族揃って暮らす事ができました。学校の成績の事は・・・・聞かないで下さい(汗)。

■弟と母の病気
  降幡には2人の弟がいますが、すぐ下の弟が小学生の低学年の頃、気管支喘息を発症しました。最初は西洋医学を頼って、ステロイドの注射や飲み薬で薬付けになりました。病気も長く患っていると、いろいろな情報が入るらしく次は漢方薬に、はまっていきました。私も鼻炎だったのでよく不味い漢方薬を飲まされたものです。次にやったのが食事療法で、玄米菜食というものです。当時の玄米は今の玄米より不味く(標準価格米だったし)玄米を炊ける炊飯器がなく、圧力釜で炊いたのですが、圧力釜から蒸気が出るシューという音を聞いただけで食欲がなくなるような状態で育ち盛りの私にとっては辛いものでした。今だったら喜んで食べるんだけど・・・でも今やっているダイエットや食事指導に役立っているのだから不思議なものですね。

■かっこいい
 高校の柔道部の頃、確か2年生の春休みだったと思いますが、試合相手を求めて遠征に行きました。多くの強豪校が集まり、試合方式の練習中の事でした。他校の生徒が投げられた時、おかしな倒れ方をして肩の関節を脱臼したのです。その時、監督(監督は教員免許の他に接骨院の免許も持っていた)がその生徒に近づき、ちょっと診断らしき事をした後、その生徒の横に座り、踵(かかと)をわきの下にいれると、あっという間に治してしまいました。「かっこいい!」高校生の降幡は感動しました。自分もこんな事が出来るようになれたらと、その時初めて思ったのです。

■内弟子生活
 高校を卒業後、柔道部の先輩(北区で接骨院を開業していた)の紹介で、上京し昭島市の松原名倉堂整骨院の小川春男先生(元昭島市議会議員)に師事し、内弟子として学校に通いながら修行生活に入ったのでした。修行生活は朝仕事の準備をして学校に行き、午後から夜遅くまで接骨院で働くというものでした。下働きや不条理の連続で最初の頃は結構「へこんで」しまいましたが、ホームシックになる事はありませんでした。この頃師匠は、市議会議員に立候補していて、選挙事務所で朝ご飯を食べてから学校へ行くような事もありました。選挙事務所のボランティアの人たちはやさしくて助かりました。
住み込みで働いていると、学校の勉強をする時間がないため、勉強は通学の電車の中でしました。昭島から渋谷まで片道1時間半の時間がありましたから。お陰で国家試験は「余裕の一発合格」できました。
学校を卒業してからは1日中接骨院で働き、次第に責任のある仕事を任されるようになり、様々な臨床経験をしました。

■開業
 6年間の研修後、昭和62年(1987年)3月17日、師匠のご後援を得、現在の場所に天龍名倉堂整骨院を独立開業、地元の患者さんを中心とした診療活動をスタートさせました。幸い多くの患者さんに恵まれ、平成3年には診療室を大改装しました。

■変革
 診療活動は順調でしたが、自分の中で「これでいいのか?今の治療でいいのか?」という疑問がふつふつと湧き出してきたとき(平成3年)、三軸修正法の池上六朗先生と出会い、新たな治療法のマスターに取り組み、現在も研修を続けています。三軸修正法は不思議で魅力的な治療法です。私自身と患者さんの可能性を最大限に広げてくれるものと信じています。

三軸恒例の小笠原旅行
池上先生曰く「感動体験を積め」

■高くついたアメリカ短期留学
 平成4年、友人の誘いで、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校に短期留学、アメリカの治療やリハビリを学びましたが、私が目指すものとは違っていたし、文化の違いがこれほど治療法や考え方に、影響を与えるものかと驚きを感じました。結局、随分高くついた人生初めての海外旅行となったのです。

講師と記念撮影
船上で修了式!
遊んでいたんじゃないか!

                      
■家族が増える
 平成6年に結婚。その後、平成8年に長女が、平成11年には長男が誕生し、家族が増える幸せと、子育ての大変さを実感しています。妻に「もう1人どう?」と尋ねると、思いっきり却下されました。残念!

■痩身法導入
 平成12年、かねてから体験し、また関心を持っていた、食事療法、栄養素療法を活用できる、痩身法を治療の一環として取りいれ、ダイエット・サポートオフィス<No.1スリム>を併設しました。治療をして、感謝される事はありましたが、痩せるお手伝いをして、こんなに喜ばれるとは「女心」には本当に驚かされました。

■香港から弟が合流、平成20年4月に独立
 業務拡大に伴い、平成13年には香港から、弟が副院長として合流。更に内容の濃い診療化へのステップアップを目指しました。年々治療技術も向上し、平成20年4月に独立して「らくだ経絡しんきゅう院」を、八王子市打越町京王北野マンションC棟に開設しました。

■現在
 現在、天龍名倉堂整骨院はお蔭様で多くの方に支えられ成り立っています。これからも更なる発展、クオリティの向上と共に、気軽に来院できる整骨院を目指しますので、どうぞ末永いご愛顧をよろしくお願い致します。


●妻へ・・・君がいてくれるから、安心して仕事に打ち込めます、ありがとう。

●子供たちへ・・・君たちがいるから、パパは頑張れるんだよ、ありがとう。

●両親へ・・・五体満足に生み育ててくれて、感謝しています。いつまでも、元気で長生きして下さい。

●スタッフの方々へ・・・いつも、ご協力頂き、ありがとうございます。

●患者さんの皆様へ・・・いろんな意味で、私をここまで育ててくれたのは、縁あってお会いした、患者さんである皆様です。深く感謝致します。



■■院長の院外活動■■

■■話に熱が入り、思わず前に出過ぎてしまった!■■

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