院長骨折の思い出
●数々の骨折を経験した

■パート1・・・手首を骨折(橈骨下端骨折)
保育園の年中の時、鉄棒をしていて転落し手を突いて、手首の骨を折りました。隣町(下諏訪町)にある、高野接骨院で治療して頂いた事を覚えています。年配で見た目はとても怖そうな先生でした。指から肘のあたりまでギブスで固定したような記憶があります。固定中、家の中で転んでしまい(今のようにバリアフリーなんてない時代でしたから)悪化させてしまいました。ギブスを外した日「今日外すよ」と言われたような気がします。リハビリが痛かったかは覚えていないけれど、先生がやさしくマッサージしてくれたのは、よく憶えています。
その後も、小学生の時、友達とプロレスごっこをしていて、当時人気のあったプロレスラーのビルロビンソンの得意技、人間風車(ダブルアームスープレックス)をくらって、頚椎の捻挫をした時や、走り高跳びをしていて、膝のお皿の下の骨が盛り上がる病気(オスグッド・シュラッテル病)なども治療して頂ました。
治療を受けているうちに、先生に対して憧れや尊敬の念を抱くようになり、そして家族みんなで、ファンになっていました。何かあると「早く高野先生にみてもらいなさい」って感じでした。
降幡が中学生の頃には、息子さんに接骨院を譲り、先生は引退されたようでした。それからは若先生(当時)に治療して頂く様になり、陸上や柔道などで、足首や膝の捻挫をした時には大変お世話になりました。若先生の奥様はとても美人で、電気治療などして頂くとき、とても恥ずかしかったです。(赤面状態!)
■パート2・・・交通事故で右足を複雑骨折
昭和59年12月2日(土曜日)研修先の接骨院の仕事が終わり、同郷の友達(東海大生)の所に遊びに行った時の事です。小田急線の最寄り駅で下車して友達の借家に向かう途中、いつものように自動販売機でビールを買っていた時の事でした。後ろの車にあおられた(本人がそう言っていたので)スカイラインが缶ビールを買っていた降幡と友達目がけて、突っ込んで来たのです。一瞬の出来事でしたが、記憶の中ではなぜか「スローモーションのコマ送り」となって今でも思い出せます。気が付くと2人は倒れていて、運転していた少年が額から血を流してオロオロして、助手席に乗っていた女の子は、呆然と立ち尽くしていました。「救急車と警察を呼んでくれ!」何もしない2人に言いました。やがて、救急車が到着すると、それまではひと気がなかった(時間も10時頃)はずなのに、野次馬が取り囲むように群がっていました。こういう時ってホント見てるだけですね。
救急車に乗って、受け入れ先の病院が決まり、T大学病院に向かいました。病院の救急処置室に運ばれ、研修医に事故の状況や症状を聞かれ、レントゲン写真を撮りました。やがて担当のドクターがレントゲン写真を持って現れ「骨折していますね」と言って説明を始めました。「この骨折は手術しないと治りません」最後にドクターはそう言いました。
傷病名は「右下腿骨(内果)複雑骨折」「舟状骨骨折」「第2,3中足骨骨折」「左右下腿部打撲」「左右膝部打撲」「右前腕部打撲」「右下腿部擦過傷」というものでした。解りやすく説明すると、右足の内側の踝(くるぶし)が骨折して、その部分に大きな傷を伴っている(骨らしきものが白く見えた)というものです。
(注)複雑骨折とは複雑に折れた骨折の事ではなく、骨折部と皮膚の外側が交通している骨折の事で、開放性骨折ともいいます。
更に内踝の下の出っ張りの所にある骨(舟状骨)と足の指の付け根の骨が2本折れて、脛と膝と右腕を打撲し右脛には傷があったという事です。
レントゲン写真を見せてもらった降幡は内心「これは手術しなくても治るな」と思い、接骨院で研修中である事、傷の処置と軽い固定をして、一晩泊めて欲しいという事をドクターに伝えました。「分かりました。そういう事でしたら、一泊して明日お帰り下さい」とドクターは言いました。
さっきは、手術しないと治らないと言ったのに、随分物分りのいいドクターだなと思っていると、いよいよ傷の処置が始まりました。それは想像を絶する痛みでした。たわしのようなもので(よく見えなかったけど)グリグリ傷の中を洗浄したのですがその痛みで、絶叫、悲鳴を上げてしまいました。(もちろん麻酔なし)痛みが強いと、絶叫、悲鳴を通り越して最後には叫ぶように笑っていました。
傷の洗浄と消毒、縫合と固定が終わると、車椅子に乗せられ、一緒にいた友達の所に行きました。友達は幸い両脛の打撲だけでしたが、降幡と2,3言葉を交わすと突然、頭を後ろに倒し気絶してしまいました。かなりのショックを受けていたのですね。降幡は治療の現場という病院と似た環境で仕事をしていたり勉強していたので、半分は興味津々で治療を受けていたところがあったのですが、友達は普通の大学生だから、交通事故のショックが大きかったのでしょね。
友達は迎えの人が来て帰り、降幡は病院のベッドに横になり休んでいました。暫くすると尿意をもよおし、看護婦さんを呼んで尿瓶をもらいました。これがなかなか出なくて驚きました。疼くような痛みで眠れない夜を過ごして、翌朝、タクシーに乗って研修先の接骨院へ帰りました。
数時間の出来事でしたが、初めての交通事故、初めての救急車、初めての気絶の目撃、初めての入院、初めての尿瓶と貴重な体験ができました。
その後、接骨院の同僚に治療してもらい。1ヶ月で固定がはずれ、更にもう1ヶ月で松葉杖をつかなくても歩けるようになりました。
実は事故の時、いろいろとお世話になっていて、なおかつ憧れていた女性彫刻家のTさんに買って頂いた、しっかりした膝下まであるブーツを履いていたのです。普通の靴を履いていたら、もっと重症になっていた事は容易に想像できます。当時はひどい目に合ったと被害者意識が強かったけれど、どこかで守られていたのですね。感謝、感謝です。
■パート3・・・雪の日に肋骨を折る
平成13年1月、雪がたくさん降った日の土曜日の事でした。整骨院の周りの雪かきを済ませ、自宅に帰る途中、駅前の薬局に寄りました。雪道を歩くときは慎重に歩いていたのですが、薬局の建物の中に入った瞬間気が緩るんだのです。ところが薬局の床は、濡れていてツルツル、次の瞬間、体が中に舞い、天井が見えました。
そして、その直後、激痛に襲われたのは、いうまでもありません。
自宅に帰ると、家の前は雪が積もり、雪かきが必要な状態。肋骨の痛みは当然強かったけれど、家庭での男の仕事として雪かきをやりました。当然悪化。更に肋骨をかばって雪かきをしたので腰まで痛くなり踏んだり蹴ったりの1日でした。
大抵こういう時は、安静に寝ているのがいいのですが、肋骨は篭のような構造のため寝ていると骨折部に力がかかります。寝返りなんか最悪ですね。痛い方を上にして横になるか、寄りかからずに座っているか、立っている方がましです。もちろん固定は必須。仕事も手を使って力を入れると、骨折部に響きます。痛みに耐えて
頑張りました。患者さんの気持ちがよくわかりますね。だから言います。怪我をして痛いときは「仕事休みましょうよ」と。4週間程、固定と電気治療をしてほぼ回復しました。
■パート4・・・再び肋骨を折る
平成14年4月、降幡は桜が終わると、次は桃の花が見たくなります。この時期中央高速をドライブしていると、勝沼〜御坂あたりで桜より濃いピンクの花が鮮やかに見られます、大好きなスキューバダイビングをした時に見た桃色の珊瑚のように感じられます。勝沼〜御坂の景色が、海の底のように見えてしまうのですね。そして御坂ICで一般道におりて、御坂峠を越えると、雪化粧の富士山が雄大にその姿を現します。お昼は、ほうとう不動か小作でほうとうを食べて河口湖で遊び、帰りは山中湖から道志の峠道を越えて八王子にもどります。
この日も、そんな予定で遊びに出掛け、御坂の「みさか桃源郷公園」で子供達を遊ばせる事にしました。なかなか良い公園で子供達も気に入ったようで、アップダウンのある公園内を駆け巡って遊んでいるところを、降幡がビデオで撮影というシチュエーションでした。子供達が坂を駆け下りて、降幡もビデオを撮りながら続いて坂を駆け下りた時でした。ビデオの液晶画面を見ていて足元が見えなかったため何かに躓き、転倒してしまいました。それを見て子供と妻は笑っています。最初は自分の事よりビデオ大丈夫かな?などとビデオの心配をしていたのですが、置き上がろうとした時、肋骨が痛たたた。またやってしまったよって感じでした。その後は、痛みを堪えての家族サービスと相成りました。合掌!
これ程、骨折が起きると、「骨密度」が低いんじゃないの?という疑念を持たれる方もいらっしゃるかも知れませんね。その点はぬかりござんせん。しっかり調べてありやす。平成12年に痩身室を併設した際、まず自分自身でダイエットして6kg程内臓脂肪を中心に落とし、その後暫くして、血液分析でお世話になった、亀戸の五ノ橋クリニックにて骨密度検査を受けました。結果は「あなたと同じ年齢の平均と比較して 104%」「平均値の最大骨密度と比較すると、103%」と骨密度は結構しっかりしているのです。(検査表参照)
骨折を起こす条件は、骨密度が低いなど病的なものを除くと、やはり「力の加わり方や加わる力の大きさによる」という事ですね。ご心配お掛けしました。
■パート5・・・1才の息子が鎖骨を骨折する
平成12年11月23日夜自宅に帰ると息子の憲佑(けんすけ)の様子がおかしいと妻が心配そうだ。どうしたのか妻に聞いても、はっきり分からないと言う。憲佑は、ただ泣いて母親にしがみついている。熱も無さそうなのでその日は様子をみる事にした。翌朝、前日着替えもしないで寝かせたので、まず着替えさせる。その途中やはり痛がる様子がある。上半身を裸にして観察すると、右の鎖骨の周りが腫れている。というか鎖骨の上下にある窪みがない。これは鎖骨の骨折だな。中村クリニックの先生にレントゲン検査を頼んでおくから、その後整骨院に来るよう妻に言って仕事に出かける。レントゲン写真を持って妻と息子がやってきた。やはり
鎖骨が折れている。(写真参照)ボール紙で副子を作り、湿布をして包帯で固定する。「3週間もすれば治るよ」と妻に言って家に帰す。夜帰宅すると憲佑は笑顔で遊んでいる。骨折の痛みと、母親が出す心配からくる緊張感から開放されてホッとしている様子。その後、3週間程で完治。一件落着となりました。
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